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プロフィール等 Wikipediaより
可愛 かずみ(かわい かずみ、1964年7月9日 - 1997年5月9日)は東京都杉並区高円寺出身で昭和後期から平成期(1980年代-1990年代)の女優。本名 久我知子(くが ともこ) 身長161cm 体重44kg バスト81cm ウエスト57cm ヒップ81cm 血液型A型 星座蟹座 視力右目0.04 左目0.04(コンタクトレンズを使用していた) 靴のサイズ23.5cm 中学時代はバレーボール部に所属していた。二人姉妹の次女で3歳年上の姉がいる。
元々は芸能界にあまり興味はなく美容師になるつもりだったが、高校在学中にスカウトを受けモデルクラブに登録する。登録後、すぐににっかつの宣伝用ポスターのモデルの話しが舞い込むが、それが結局ヌードであった。可愛が「話しが違う」と言うと、話しを持ってきた担当者の手違いだったらしく、その担当者が怒られているのを見ていて同情してしまう。かわいそうになり、自分が我慢すれば丸く収まると思い最終的に仕事を引き受ける。またこの時に渡辺監督の目にとまり1982年、にっかつロマンポルノ映画『セーラー服色情飼育』(監督:渡辺護・脚本:小水ガイラ)で芸能界入りする。「可愛かずみ」の芸名はその際、渡辺監督によって命名された。ロマンポルノ映画出演はこの一作のみだったが、幼さが残るあどけない顔立ちと抜群のスタイルで注目を浴びる。 続いて映画『夜をぶっとばせ』、シブがき隊主演の『ヘッドフォンララバイ』に出演。その後すぐにグラビアアイドルとしても人気を博し、それ以降はテレビのバラエティーやドラマでアイドル女優として活躍をしていた。ロマンポルノ出身で一般作でも成功した数少ない女優の一人である。
「ポルノはデビュー作の『セーラー服色情飼育』だけだったが彼女の人気が高まるにつれ美保純と並ぶ存在になった。そういった意味で彼女はロマンポルノの看板女優です。ただ可愛本人は『ポルノ女優』と呼ばれることを非常に嫌がっていた。」(映画雑誌記者談) 可愛本人は「昔の仕事は自分でも考えてしたことで後悔はしていないし、これまでがあるから今の自分がいるのも分かってる。私自身偏見はないけど、ただ昔の仕事のことで人間的に軽く見られるのは辛い。」と語っている。
可愛は初めからヌードになることには抵抗があった。ロマンポルノ主演デビューと言っても、撮影時にも泣き出しており、フルヌードにもなっていない。そのため『セーラー服色情飼育』はロマンポルノで主演女優がフルヌードになっていない唯一の作品と言われている。またロマンポルノとしてはトップクラスのセールスを記録しており25年経った今でも売れ続けている。
共演した下元史朗は後に魅せられた女優として可愛を挙げており、渡辺監督は可愛のことを「生きた恥じらいがある女優」と評価している。また監督は当時の可愛の事を「可愛いから、可愛かずみにした」と言っており、撮影時にはずっと「ちび」と呼んで、かわいがっていた。可愛自身も監督に感謝しており、そのことを番組で語ったこともある。
1983年9月もう脱ぐ仕事をしたくないと宣言をし、同理由から同年11月に所属事務所をオフィス・アンからマーカスに変わっている。
「ヘッドフォン・ララバイ」の出演が決まった時には嬉しくて台本を抱いて寝たと言う。また、この頃から「セーラー」出演時には怒っていた友人たちも応援してくれるようになり、期待に応えたいという気持ちからプロ意識が出てきたと本人も語っていた。
歌の方では「春感ムスメ」というシングルでデビューをし、その後「天使のデザート」「メディテーション」というアルバムもリリース。レコーディングの時に一生懸命歌う可愛はスタッフから「歌手じゃないんだから鼻歌まじりの歌声でいいんだ!力むような歌声じゃ駄目だ」と言われ微妙だったという。
可愛の歌には定評があり「歌のレッスンを受けてるアイドルよりも全然上手し、本格的にレッスンを受けたらアイドルとしてではなく、プロの歌手として充分やっていける」と当時、和田アキ子も評価したと言われている。
写真集に関して全てにプレミアがついており、初期のものは生前から既に高値で取引されていた。特に「アイドル」はプレミア写真集として非常に有名なものである。
グラビア時代の可愛の人気は絶大で、ほぼ毎週と言っていいほど掲載していた雑誌も数誌ある。また未だに20年以上前であるクラビア時代からの固定ファンがいると言われている。ファンだったという芸能人も多くテレビで公表しているのはダウンタウン松本人志やとんねるず石橋貴明などがいる。
バラエティ番組にも多数出演しており1983年頃『オレたちひょうきん族』では「ひょうきんベストテン」のコーナーで中森明菜のものまねで登場した。また歌番組のアシスタントなどでの登場も多くなり、ブラウン管でお茶の間にだいぶ定着していた。
1984年〜1986年には深夜帯ドラマ『トライアングル・ブルー』(テレビ朝日)に出演し、とんねるず、川上麻衣子、柄沢次郎らと共演。この作品で女優としてもメジャーになっていく。最終回の可愛と同居していた同じ大学の女子大生役の川上麻衣子がスウェーデン留学が決まったというストーリーで二人が号泣するというシーンは視聴者の共感を呼ぶ名シーンであった。
片岡鶴太郎主演の『季節はずれの海岸物語』ではシリーズ全話で新井徳子(とっこちゃん)という役柄で鶴太郎がマスターをしていた喫茶店を手伝う役柄を演じて好評を得ていた。
女優としての評価は高く、特に悲哀な内容の演技には周囲が絶賛するほどであった。「若手女優でも将来が期待された一人だった」とテレビ局制作スタッフも語っている。20代後半から少し気だるい感じの役柄が多かった可愛だが、晩年演技力が増していく事で本当に可愛が、そういうタイプの人間だと思っていく人が多かった。ただ実際に会うと非常に素直な性格で、役柄やイメージとのギャップに皆驚いていたという。
演技派女優としても認められ1992年には日活80周年記念作品「女猫〜美しき復讐者〜」の主役に抜擢されている。
私生活では香坂みゆき、川上麻衣子、岡本かおり、森尾由美と親交が深く、よくテレビでも共演していた。
笑顔を絶やさない温厚な性格はよく知られており、人柄の良さには定評がある。タモリ、山田邦子、片岡鶴太郎などが「素直」「明るい」「優しい」と、可愛のことを番組内で語ったこともある。また最近でも渡辺美奈代がインタビューの際「かわいがってくれた先輩」と生前の可愛のことを語っている。芸能界で悪くいう者はいないと言われていおり、他の女優がスキャンダルという意味で嫌うマスコミ(芸能リポーター)にも常に笑顔で対応したり、共演した渡辺美奈代がドラマの泣くシーンの時にスタッフが2回NGを出し、その時スタッフに「何度も泣けるものじゃない」と渡辺のために怒ったというもの等、可愛の人柄をあらわすようなエピソードは、数多くある。
晩年、チャームポイントだった八重歯を急に抜いている。
1995年、当時ヤクルトスワローズに在籍していた川崎憲次郎との交際が発覚する。川崎は学生時代から可愛の熱烈なファンで、6歳の年の差はあったが交際は順調であった。当時、川崎はマスコミに対しても交際宣言をしている。だが、周囲の反対と川崎の故障で治療に専念したいという理由から破局。
1996年、川崎との破局後、芸能人との間に一度交際の噂が出ており、この頃から急激に体調が悪化、周囲にも「死にたい」と漏らすようになる。1997年5月9日、女優としてこれからという時、自らの可能性を絶つことになる。この日、午前中に手首を切り自殺を図っており、この時のためらい傷は3箇所にも及んでいたという。また、この時「また手首を切ってしまった」という内容の電話を婚約者にしているらしい。リストカットによる自殺未遂は1996年12月、1997年1月に続いて3回目ではあったが、夜には食事に出されたドリアを全部食べており、周りも落ち着いたように見えて安心していたという。その後、留守番の女性に「咳がでるから病院に行く」と言って出かけ、午後7時10分頃、川崎憲次郎の住んでいた都内のマンション7階から飛び降り、帰らぬ人となる。7時14分頃マンションの前に人が倒れていると通報が入るが、救急車がきた時には既に心肺停止状態であり、搬送された新宿の東京医科大病院で全身打撲のため死亡が確認される。自宅を出た時間を考えると真っ直ぐ自殺現場に向かったと思われる。当初は事故としても調べられたが、本人が飛び降りるところを目撃した者もおり、すぐに自殺と断定される。飛び降りたマンションの共同廊下には、揃えられた靴と、免許証やカードそして現金約10万円が入ったシャネルの財布が置かれていた。2階の屋上に一度落下したらしく、2階部分には、かけたまま飛び降りたと思われるサングラスがあった。目撃者である1階コンビニ店店員の証言によると、可愛は青と白のストライプのシャツを着ていたらしい。また自殺したとは思えないほど安らかな顔をしていたという。自殺の動機は諸説あるが遺書はなく正確なところは不明。生真面目な性格が裏目にでたと言われている。遺体が安置された東京医科大病院には、川上麻衣子、岡本かおり、元競輪選手の中野浩一夫人の尚子さん等、多くの友人が駆けつけ徹夜で付き添っていた。更に通夜でも友人20人程が集って「もっと相談に乗っていれば良かった」「もっと頻繁に気持ちを確かめ合えば、こんなことには…」と口々に漏らしており、交際範囲の広さは亡くなってから知ることになった。また告別式では父親が「人生で一番むなしい日」、所属事務所社長が「彼女が思っているよりもずっと彼女は愛されていた」と語っている。告別式の様子を放送したワイドショーでは芸能リポーターが「私の立場で言っていいのかは分かりませんが、もうそっとしてあげたいですね」と言っており、可愛の人柄が偲ばれるものであった。 亡くなった翌日(5月10日)、可愛は都内の自動車販売会社を経営する実業家(当時28歳)と婚約し、2ヵ月後の7月7日に結婚する予定であったことが発覚する。棺の中には挙式で着用するはずだったウェディングドレスが収められた。
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